島久のお雛様は、江戸時代より続く伝統技法で作られています。
桐塑胡粉技法によるお顔づくり、糸作りや染色からこだわった正絹生地、十二単を再現した着付けなど、職人の細やかな手作業により生み出される、美しいお雛様をご覧ください。
お雛様の衣装をいっそう際立たせるのが、重ね色目です。
十二単(じゅうにひとえ)=唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)を再現し、衣の重ねによって四季のうつろいや、いにしえに暮らした人々の情緒豊かな感性を現代に表現しています。
長年座り続けても着崩れがないように、安定した直線とその中にも流れるような優雅な曲線で作っています。
また、お好みの重ね色目でお作りする事も可能です。ご相談ください。
今から千二百年以上も前、群馬県より朝廷に献納された「あしぎぬ」は今も正倉院御物として保存されています。
群馬県は、絹と共に生きてきました。その絹の品質・美しさは世界最高峰です。
本物の絹糸をふんだんに使ったお雛様を、島久は作りで続けています。
現在、日本国内で使用されている絹糸の96パーセントが海外糸です、経済性・利益重視の物作りです。
群馬県では日本の絹糸の生き残りを賭け糸質にこだわって創られた「世紀21」と言う蚕品種が有ります。
染色性に優れ糸の艶、輝きが美しく、100年以上の歴史のある京都・西陣の機屋さんを驚かせたほどです。
輸入糸の3倍の値段ですがそれだけの価値は十分にあります。
島久ではこの糸を使い雛の装束を創っています。私が雛を飾りながら祖父母の思いと共に絹の美しさや手触りも覚えてほしいと思います。
長島宝山
二十数年前、京都でてに入る最上級の絹糸で機織りをしていた私が「これ以上きれいな織物は京都にない」と言ったところ、田島さんから群馬に染色性に優れ、艶が良い「世紀21」という蚕品種があり、その絹糸で織ってほしいという提案がありました。
よく話を聞いたところ、「世紀21」の絹糸の値段が私の使っている絹糸の3倍。
「お蚕の品種で織物が変わる訳がない、値段が高くなるだけで変わらないからやめなさい」と止めました。
その御送られて来た「世紀21」を精錬したところ、今まで見たことのない輝きと艶を持ったきれいな絹糸になりました。染色性も優れていて織りあがった織物は文様が浮き立ち艶の美しい織物に仕上がりました。
長年織物に携わっていた私が初めての経験でした。
「高くなるだけで変わらないから、やめなさい」と言っていたこの私が、織り上がりの美しさに感激して「すごく綺麗だから、宣伝を多くしたほうがいい」と手紙を書いたのを今でも覚えています。
先日、島久さんと出会うきっかけになった屏風(京都西陣織物会館に飾ってあった)を店に飾ってほしいとお譲りしました。
島久さんのお店を訪れる事がありましたら、長島宝山の織物も、ぜひご覧になってください。
群馬の養蚕の歴史は150年、その歴史の書かれた「群馬の養蚕」と言う本の中に、「糸質の又昔」「糸量の赤熟」「虫が丈夫な小石丸」と言う記述があります、蚕品種の話なのですが「小石丸」は宮中で育てられ有名でご存知の方もいると思います。
私が気になったのは「又昔」糸質のと言う所で群馬の養蚕史150年の中でトップクラスの美しさを誇っていたのだろうと、実物を見たいと思ってしまいました。
調べた所、80年前に飼育されたのが最後でした、80年間誰も使っていない「又昔」今でも存在しているのだろうか。
驚きました、何十年だか百何十年だか分かりませんが国や県が蚕品種の遺伝子を現在まで継続させていることを知りました、凄いことです。
国が持っている蚕品種は250品種ほど群馬県が持っているのが60品種程だと分かりました。
(又昔Ⓡは島久の商標登録です)
奈良時代から日本に在ったと言われる紫根染・茜染め当時は高貴な人のみに許された色だったそうです、
そんな色のお雛様を創りたくなり探しに出かけました。
紫根染め 明治初期に海外から入ってきた染料(アニリン色素)によって完全に途絶えてしまったそうです、
現在 紫草自体が絶滅危惧種に指定されている貴重な紫草です。
希に見かけることが有ります。古代染色紫根染めの着物、数百万円の値段が付いていましたが、誰か染めている方が居るはずです。
江戸時代、藩の財政を賄ったと言われる南部紫根染めは有名です、岩手県に行って見ました。
紫根染め、すぐに出会うことができました、染色をお願いした所、二つ返事で引き受けて下さいました。
しかし私が東京で見た着物とは色・彩度が違い、値段も一桁違いました、気になったので多野でお聞きしました、
「紫根だけで染め染みるのですよね」
「お客さん、紫根だけで染めたら売れる値段にならしませんがな」
その後、色々な方に聞きまわりたどり着いたのが沢口ハルさんです、南部紫根染めに魅せられて40年と言う方だそうです。
話がそれますが、雨ニモマケズ風ニモ・・の宮沢賢治さんをご存知かと思いますが、その宮沢賢治さんが「紫根染めについて」と言う本を書かれています、100年程昔に書かれたものですが、途絶えてしまった紫根染めを有志の方達が復活させようと、紫草の自生地や染色法を知っていると思われる山男に酒をふるまい、酔わせて聞き出すという面白い話なのですが、この山男の住まいが八幡平の西根だったそうです。
沢口ハルさんが住んでいるのが正にその西根です。
沢口さんは東京の高級呉服問屋さんの専属らしいことも分かりました。
世界で初めての江戸時代能装束復原裂地のお雛様。
世界のあらゆる織物の中で「最高峰」といわれるのが、日本の能装束です。
美術館のガラス越しに鑑賞するのではなく、身近に置いて楽しんでいただけるよう、本物の能装束の生地でお雛様を作りました。
京都在住、能装束研究家の山口 憲さんと御縁をいただき、原材料、色、組織、織技術、紋様すべてに贅を尽くした、島久だけのお雛様が完成いたしました。
山口 憲
1948年生まれ。
1984年 山口能装束研究所設立
1972~89年 江戸期能装束1000領調査研究
1990年 民族衣装文化普及協会きもの文化賞受賞
1991年 毎日郷土提言賞受賞
1993年~ 国内「華麗なる能装束」展。欧州・米国「能装束の世界」展巡回
1995年 (財)日本文化芸術財団 日本文化芸術振興賞受賞
2004年 江戸期能装束500領復原
2004年 外務大臣表彰受賞・銀杯受賞
京都市左京区在住。能装束研究家・浅井能楽資料館館長